旅行・地域

2015/03/03

銚子電鉄 デハ101の末路

ひさびさに思い出話です。

はじめて銚子電鉄を訪問したのは、いつだったのか記憶があやふやで、今回載せる写真も、何年の撮影と特定できていませんが、たしか2010年前後か、それ以前のものだと思います。

9月末に、浜松町から京成バスで行ったことは、はっきり覚えています。

この時代はまだ、デジタルカメラは発展途上だった上に高価で、持っていったのは、ポジフィルムを詰めた中古のオリンパスOM-1でした。
このとき撮影した写真は、スライドファイルに仕舞いっぱなしで、プリントしたのはごく一部です。ポジのプリントは、一枚100円以上しますから……フィルムスキャナも持ってないし……。

お約束通り、仲ノ町駅でデキ3と対面したあと、笠上黒生駅で待っていたのは、この電車でした。

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デハ101。
前面の腰板が腐って落ちそうになっています。

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たしか都電のお古だったと思うビューゲルは、基部より上が腐り落ちていました。
それにしてももうぼろぼろな状態ながら、なんとかこれを見ることができたのは、幸運だったと思います。解体されたら二度と会えないですから。

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この台車は、いまは上毛電気鉄道の大胡車庫で保管されているときいています。

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このトロ2輛も、現存しないのでしょうか……? もっと良く見ておけば良かったです。

2010/12/07

1995年3月31日:栗原電鉄 最終日

きょうはまた、過去の写真で思い出話です。

栗原電鉄が、電気運転をやめて内燃化し「くりはら田園鉄道」に変わる前日、表題のように1995年3月31日ですが、ぼくは電鉄最後の日に立ち会うべく、石越駅に降りたち、円弧を描くエントランスが特徴的だった栗原電鉄の石越駅から、まずは若柳へ向かいました。

さよならフリー乗車券、だったか、1000円で購入して、行きつ戻りつすることにしました。

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若柳の電車区の広い構内には、細倉までのラストランを前にして、ED201と明治生まれのト、武蔵野鉄道出身のワフが待機していました。

まだ若造で、いまで言う撮り鉄の経験も皆無に近いぼくでしたから、この貨物編成の追っかけは諦めて、M15型電車や、めったに動くことがなくなっていたTcのC15型にお名残乗車をすることを第一に、硬券入場券を揃えるべく、主要駅で降りてみることにしました。

実際、電車区も沿線も結構な人出で、細倉にも人垣ができるような予感がしたために、ED20の動いている姿を撮影したりするのは、正直気おくれがしたのです。いま思えば、いささかもったいないことをしたと思いますが、静かに電車たちの最後の雄姿を見届けられたのも事実です。

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M181は、この日はついに動かなかったようです。後ろの2輛も、たしかこの位置から移動しなかったのでは?

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車庫でスタンバイするM15と、あすからの出番を前にしたKD95です。

内燃化されたとはいえ、こののち「くりでん」の廃線まで主力として活躍することになったKD95にも、ぼくはいまでも愛着があります。この日も、老兵は歩みを止めても鉄路は残るという安堵感から、期待を持って見ていたような気がします。

若柳から、M15+C15の「さよなら電車」に乗って細倉マインパーク前、栗駒、沢辺と主要駅をまわりました。たしか福島交通から譲受したM182か、M183のいずれかも動いていたはずです。

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なさけない出来ですが、一応栗駒-栗原田町間で走行写真も撮りました。

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昨年解体されてしまった栗駒駅。

当時の宮交栗原バス本社と同居していて、暇な時間帯?にはバスの社員がホームを歩いて、電鉄の駅務室へ出向いているのを見たことがあります。本当にのどかでした。

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沢辺駅にて。交換待ちの石越行「さよなら電車」。

硬券を買うべくここで下車したのはいいのですが、ちょうどこのあと、しばらく列車の来ない時間帯に入ってしまい(普段保線をやっている頃と聞きました)、ただ待っているのももどかしく思えたので、次の大岡駅まで歩くことにしましたら、それでもまだまだブランクが空いていたので、結局若柳まで7.2kを、概ね路線に沿って(道路やあぜ道を)歩いてしまいました。

まだ春というには早い、風が鳴っていたのをおぼえています。

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これは谷地畑の手前だったかなあ……

若柳からの、ぼくにとっての栗原電鉄の最終ランナーはM151でした。釣掛駆動の音を響かせて、結構な速度で揺れながらの最後の力走を、そしてひとり歩いた、広々とした栗原の耕土を、たぶん忘れることはできないでしょう。

2010/08/07

栗原電鉄;1990年代の写真から

 模型が前回からあまり進捗していないので、今回はちょいと寄り道をして、昔のカラースライドから、何枚か栗原電鉄の写真をご覧に入れたい。

 中学生の時、山奥の少年自然の家への「現地集合」でもって乗車したのが、ぼくの私鉄乗車のはじまりであった。まだ貨物が健在の頃だ。

 その後細倉鉱山が閉山し、貨物輸送も廃止となった。その前後については、行きたくとも行けない時代がつづいたので、多くを語ることはできない。

 年に1~2回、訪問できるようになったのは、学生になってからのことだ。ほどなく実家から借り出していたペンタックスで、駅や若柳の車庫を中心に写真を撮るようになったが、基本的に「乗り鉄」であることは今も変わりないので、写真に関しては小品ばかり、お目よごし程度ではありますが。。。

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 若柳のホームにて。乗客や職員が写っているのは、我ながらめずらしい(?!)。いつも車両や施設ばかり撮影していたもので。

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 M15型電車。

 この時代になると、屋根上が以前のグレーから青塗装に変わっている。昭和30年ナニワ工機製。当時としては数々の新機軸を盛り込んだ意欲作であった。

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 車庫で、福島交通から移ってきたM183と並ぶ。

 後ろの検修庫との間にある電車区詰所がおもしろい。なかなか瀟洒な?庫だと思うのだけれど、実際模型で作るとなると、大きいんですよね……

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 その庫の中にはM182が入っている。冬に備えて入口には扉がつき、架線は手前で途切れている。

 左の制御車C15型は、もと西武の木造車の鋼体化で生まれた車輛だが、このころになると出番がなく、電気運転最後の日、1995年3月31日に乗ったのが最初で最後の経験だった。

 若柳駅構内は公園として整備されているようで、駅舎は同じ設計の沢辺駅の部材を使って開業当時の姿に復元されたそうだが、車輛は電化時代の多くが解体されてしまったとも聞いている。

 次の保存車運転(ディーゼルですけどね)の日には、再び訪れてみたいものだ。 

2010/05/17

ちょっと思い出話……

 ゴールデンウィークも終わり、車輛工場もひと息ついて……というと逆に思われるかも知れないけれども、実際のところひと様が休んでいる間に仕事をしているのは実際の公共交通の常であるから、と言い訳をして、最近の工作はさっぱりである。

 十数年前の同じ時期に、ひとりで学生していた岩手か360319940503_2 ら、朝一番の鈍行乗り継ぎをして訪れた十和田観光電鉄の七百駅の検修庫でも、車輛区のおじさんがひとりで庫内の仕事をしていたっけ。

 南部縦貫鉄道に乗ったあと、十和田観光の(地元では、とうてつと呼ばれていた)路線バスで七戸から十和田市駅に抜けて、ふいに途中下車した七百駅は、民家はあれどひと気が希薄なところで、駅前に来るはずの三沢駅行きバスも、見たのか見なかったのか記憶からすっぽり抜けているくらいである。

 で、予告もなしに訪れたぼくのためにか、おじさんはなぜかラジオのスイッチを入れてくれたようだ。そして屋根上に上がって(東急から来た、3603号)グラインダかなにかで作業をしている音と、やけに大きな音で響きわたるラジオの音声が、記憶に残っている。

 この写真で、3603が載っているレールは、向こう側の検修庫の外まで延びていて、駅前広場に接しているのがおもしろかった。

 当時はあの程度の規模で、車両交換などどうするのかと(なにしろ交換駅はここだけだから)想像もつかなかった。若造のぼくには。ずっとあとになって訪れた、銚子電鉄の仲ノ町も写真で見る以上に狭く感じられて、模型でもできなくはないなと思わされた。とはいえ、実感以上に有効長はあるのが常だから、だまされてはいけない(?)

 東急からきた後釜のステンレス電車たちには、まだ会いに行く機会がない。

 南部縦貫もなくなっちゃったしなあ。

 12月には、新青森まで新幹線だって?!

 ぼくも歳をとったものです(笑) 

 

 

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